岩垂好彦(株式会社野村総合研究所 上級コンサルタント) |
モザイク模様のインド消費価値観──変わるインド、変わらないインド |
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インドでは、必ずしも大都市の中心部で生活スタイルや消費価値観が先行的に変化しているわけではない。むしろ郊外の新興都市で新しい都市型の生活スタイルが生まれている。また、豊かな地方においても消費ブームが起こっている。インドの生活者は、自国の特殊性、独自性を重視しており、必ずしも西洋先進国で受け入れられた製品がインドでもはやるとは限らない。また、購買力がさらに高まっても、価格に見合った価値を訴求できない製品は一顧だにされないであろう。このため、適切なセグメンテーションに基づく詳細なエリア・マーケティング、インド市場に適合させた製品投入や拠点配置、そして地方まで幅広く浸透する販売網の構築が重要になる。 |
鈴木信貴(京都大学大学院医学研究科「医学領域」産学連携推進機構 メディカルイノベーション推進室特定助教) 新宅純二郎(東京大学大学院経済学研究科准教授) |
産業財のインド市場戦略 |
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日本企業など先進国の企業にとって、新興国市場における産業財ビジネスの役割がますます重要になっているが、産業財の新興国市場戦略についての研究は少ない。本稿は、代表的な産業財である工作機械を事例として、インド市場で競争優位を築いているファナック、牧野フライスの市場戦略を分析・考察した。新興国の産業財市場では、ローカルのユーザー企業は産業財の技術知識が不足し、現地に進出している先進国のユーザー企業は市場環境の知識が不足している。そのため、先進国の産業財企業は、先進国市場で蓄積してきたサービス、ソリューション等の知識体系を現地に適用させると同時に、現地の事情や環境に即してそれを改変する必要がある。ファナック、牧野フライスの両社は、この2つの課題に対処するために、長期にわたり、インド人エンジニアを育成し、活用することにより競争優位を構築している。 |
朴 英元(東京大学ものづくり経営研究センター特任准教授) 天野倫文(東京大学大学院経済学研究科准教授) |
インドにおける韓国企業の現地化戦略──日本企業との比較を踏まえて |
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家電や自動車などの産業分野では、韓国企業がインド市場で優れた成果を収めている。1997年の通貨危機以降、韓国企業はグローバル戦略を強化し、2000年代を通じて新興諸国のボリュームゾーン市場に対して本格的にビジネスを拡大してきた。インド市場は彼らの新興国市場戦略の最前線であり、韓国企業の現地化戦略のインパクトを確認できる重要な市場である。ここでは、現代自動車とLG電子の現地化戦略についてケーススタディーを行い、その後で日本企業のインド市場戦略との比較を行う。 |
プラジャクタ・カーレ(一橋大学イノベーション研究センター特任講師) |
インド自動車産業の歴史的発展──産業政策から見る自動車メーカーの成長と中小部品メーカーへの副作用 |
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本稿では、近年大きく成長しているインドの自動車産業に大きな影響を与えた政府の産業政策に注目する。1947年の独立以降、自主生産、自動車生産の現地化が進む一方で、国内市場の競争の制限の目的で執行された保護的な政策が1970年代後半まで続いた。1991年の自由化によって、国内企業は国内市場に安住してきたイナーシャから解き放たれることとなった。政策は産業の発展を大きく促進した一方で、サプライチェーンの間で大きな格差を生み出すことになった。自動車メーカーとティア1企業の成長をもたらしたものの、十分な技術力やマネジメント能力のないティア3企業を未開発のものとしてとどめてしまったのである。 |
李 澤建(東京大学ものづくり経営研究センター特任助教) |
インドはモータリゼーションの夜明けか──市場発達段階と新興国商品戦略 |
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世界的金融不安で、世界の関心が再び新興国に向けられるようになった。高い成長率、商品の低い普及状況など、新興国の高い潜在可能性が連日マスコミで取り沙汰されている。しかし、期待された高成長が実現できるかという議論が十分なされないまま、新興国市場の成長性をバラ色に捉える論調は後を絶たない。自動車製品の普及過程には、各国の独自性を考慮しても、共通現象が一部では見られる。つまり、市場の発達段階が、一定の条件の下で各国間において比較可能なのである。錯綜する表面的現象ではなく、一般性を持つ象徴的現象に着目することで、発達段階を特定できるだけではなく、本質的成長を達成するための方向づけにもなりうる。本稿はタタ・モーターズ「ナノ」の事例を取り上げ、市場の発達段階に適した商品戦略の必要性を述べる。 |
島田 卓(株式会社インド・ビジネス・センター 代表取締役社長) |
スズキのインド戦略──ブルーオーシャンを求めて |
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リーマンショックからの回復が軌道に乗りかけた日本経済を、東日本大震災が襲った。サプライチェーンは寸断され、製造業は停滞し、社会インフラの再構築を余儀なくされた。そんななかにあって、大手自動車メーカーに伍して気を吐いているのがスズキだ。30年前、国全体の自動車年間生産台数が4万台程度だったインドに進出し、インド政府との合弁企業マルチ・ウドヨグ(現マルチ・スズキ・インディア)を立ち上げ、インド有数の民間企業に育て上げた。マルチ・スズキは、いまや親会社をしのぐほどの超優良会社に成長した。なぜスズキはインドに向かったのか。そこには、鈴木修会長兼社長の、将来を見据えた大胆な経営判断があった。 |
●特別寄稿 青島矢一(一橋大学イノベーション研究センター准教授) 武石 彰(京都大学大学院経済学研究科教授) 延岡健太郎(一橋大学イノベーション研究センター教授) 米倉誠一郎(一橋大学イノベーション研究センター長・教授) |
スティーブ・ジョブズに捧げる モノにとらわれず、モノにこだわる
スティーブ・ジョブズはいいtasteをしていた
日本の製造企業は学ぶべき師を失った
エキサイトメント・クレイジネス、そして林檎 |
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2011年10月5日、アップルの共同創業者で会長のスティーブ・ジョブズが死去した。1955年生まれ。76年にスティーブ・ウォズニアックとともにアップルを設立。84年にパソコン「マッキントッシュ」を世に送り出すが、翌85年、自らがスカウトした社長のジョン・スカリーによってアップルを追放される。12年後の97年、経営難に陥り破綻寸前だったアップルに復帰。その後は、iMac、iPod、iPhone、iPadなど次々と投入した新製品は大きな成功を収め、2011年8月にはアップルの株式時価総額は世界最大となった。それを見届けたかのように、2カ月後、ジョブズは56年の生涯を終えた。ジョブズとアップル製品を敬愛する4人の経営学者が、その早過ぎる死を悼み、功績に対する賛辞とともに、ジョブズが残したものは何だったのかを論じる。 |
●ビジネス・ケース 青島矢一(一橋大学イノベーション研究センター准教授) 北村真琴(東京経済大学経営学部准教授) |
セイコーエプソン──高精細インクジェットプリンターの開発 |
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今では、セイコーエプソン(エプソン)を支える中核事業となったインクジェット(IJ)プリンター事業。しかしそこに至る道のりは決して順風満帆ではなかった。特に1980年代中盤、米ヒューレット・パッカードとキヤノンが発売したバブルジェット式IJプリンターは、エプソンの事業基盤を根底から崩壊させかねない大きな脅威となった。そこでエプソンは、従来のピエゾ式IJプリンター技術の改良に全社的に取り組み、画期的なMACHヘッドを生み出した。本ケースでは、このMACHヘッドが生まれた経緯から、その後のカラー化、業務用事業の展開を含むエプソンのIJプリンター事業の流れをくわしく記述する。 |
●ビジネス・ケース 池内 誠/清水 慎/Ryu Yu/狩野英樹/武田慎祐(一橋大学大学院商学研究科修士課程経営学修士コース修了) |
京都市立堀川高等学校──学校改革の軌跡 |
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京都では、私立高校が進学に力を注ぐようになると、公立高校の進学実績は低下していった。その状況に危機感を覚えた京都市立堀川高等学校の教員らは、1993年から理想の教育をめざした学校改革に取り組んだ。掲げた教育理念は「二兎を追う」。それは、「自立できる18歳の育成」と「進学実績の向上」という、一見相矛盾する2つの目標の同時追求を意味していた。改革の目玉は、「人間探究科」と「自然探究科」という普通科型の専門学科の設置であった。その後の進学実績を見る限り、堀川高校の学校改革は大きな成果を収めている。堀川高校の学校改革が成功できたのはなぜなのか。本ケースでは、その改革の組織プロセスを記述する。 |