【一橋ビジネスレビュー】2026年夏号 Vol.74-No.1

2026年夏号<VOL.74 NO.1>特集:知識創造のフロンティア ー AI時代における人間らしさの価値

 

 

12・3・6・9月(年4回)刊編集

一橋大学イノベーション研究センター
発行 東洋経済新報社

特集:1995年に野中郁次郎と竹内弘高が世界に発表したThe Knowledge-Creating Company(邦題『知識創造企業』)は、情報を内包する概念としての「知識」を定義し、組織における知識創造プロセスを、暗黙知と形式知の相互変換の「SECIモデル」として体系的に提示した。同書は、企業経営における知識の重要性を広く認識させ、特に、暗黙知の概念を広く普及させた。ここから知識を中心にした新しい議論が展開され、企業経営、教育、研究などに、広範な影響を与えた。同書の発表から30年が経った。本特集では、知識創造理論の最前線で活躍する研究者たちが、現代社会における知識の役割とは何か、日本経済がさらなる飛躍を遂げるために知識創造理論がどのような視点を提供できるのかなど、これからの企業経営と知識創造理論の未来について深く掘り下げる。

特集論文Ⅰ 野中郁次郎の生き方:過去・現在・未来
竹内弘高
(国際基督教大学理事長/一橋大学名誉教授)
知識創造理論の提唱者・野中郁次郎(Jiro)。その長年の盟友であり、かけがえのないパートナーとして『知識創造企業』などの名著を共に生み出してきた著者が、55年にわたる交友関係を振り返り、Jiroの学術的功績と唯一無二の生き方をたどる。本稿では、UCバークレー時代に培われた哲学と理論構築への信念を出発点に、Jiroが知識創造理論を常に見直してきた軌跡を描く。最新の神経科学を援用して「身体化された認知」や共感が未来を切り拓く原動力となることを論じ、さらにAIとデジタル化がSECIプロセスに与える影響といった最晩年の思索を明かす。また、「職人的な粘り強さ」と「破天荒でワイルド」という相反する特質を持つJiroが、自らの人生で「二項動態」を実践した数々の魅力的なエピソードも綴られる。そして、一橋ICSに「野中郁次郎知識経営寄附講座」を設立し、世界に発信する研究者の力を借りてJiroの知的遺産を継承していく構想を語る。

特集論文Ⅱ エナクティヴで媒介的な経営:野中郁次郎の知識創造理論の哲学的再解釈
田口茂
(北海道大学大学院文学研究院教授)
経営指標などの数値的データは、氷山の一角にすぎない。その背後には、膨大な人間的営みがある。だがこの営みは、われわれの注意の眼差しからは構造的に抜け落ち、「見えない」次元となる傾向がある。野中郁次郎の知識創造理論は、この「見えない」次元に一貫して注目し、そのダイナミックな展開に立脚した経営を提案している。本論文では、野中の理論を認知科学分野の「エナクティヴ・アプローチ」や、哲学分野の現象学、京都学派の哲学に関連づけることで、そのポテンシャルを哲学的な観点から浮き彫りにしてみたい。暗黙知の形式知への転換、SECIモデルの循環などは、まさに「見えない次元」とのダイナミックな往還を意味している。拠るべき絶対的な地盤がない世界で、行為によって絶えず自分が生きる世界を作り、その世界に向かって再び行為していくというエナクティヴな現実観は、もしかしたら多くの経営者の実感にも近いものかもしれない。

特集論文Ⅲ 知識創造を駆動する実践知リーダーシップ
阿久津聡
(一橋大学大学院経営管理研究科国際企業戦略専攻教授
組織における知識創造はいかにして駆動されるのか。暗黙知と形式知の相互転換を通じた知識創造を実践する能力を高めることは、企業の持続的な成長に不可欠だ。これまで、知識創造の研究は主にプロセスや構造の解明に、リーダーシップ論は個人の特性や影響力の分析に、それぞれ光を当ててきた。その一方で、知識創造を担う主体としてのリーダーの実践的な働きに踏み込んだ議論は少なく、両分野の体系的な接続も不十分であった。本稿ではこのギャップを埋めるべく、「実践知リーダーシップ」の6要件を軸に、知識創造理論とリーダーシップ研究の接点を整理・統合する。特定の理論からの演繹ではなく、知識創造の現場における実践的要請から体系化された動態的プロセスとしてリーダーシップを捉え直し、具体的な指針を明らかにする。本稿の最後には、著者の司会で行われた野中郁次郎氏と文化心理学者・北山忍氏との対談を収録した。

特集論文Ⅳ スローガンから実践へ:パーパスを内発し社会的価値へつなぐ知識創造理論
武田悠作
(イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校ギース・カレッジ・オブ・ビジネス助教授
組織が真に躍動するのは、外部から与えられたスローガンに社員が従うときではなく、1人1人に「腹落ち」が起きたときだ。しかし、個人の主観的な価値観を、いかにして組織のパーパスへと昇華させ、客観的な社会的価値へとつなげるのか。本稿では、知識創造理論の本質を、「Inside-out(内からの創発)」による社会的価値創造のダイナミクスを解明する組織理論として定義し、価値生成のプロセス「Values-SECI」と実装原理「MEDフレームワーク」として提示する。これにより知識創造理論は、企業の存在意義を日々の実践的価値創造へと接続させる実践的組織論となり、パーパスを「言葉」から「実践」へと変える確かな道筋が見えてくる。

特集論文Ⅴ 生成AI時代における「場」の再考
テレサ・バンドテル/アン=クリスティン・ヴァイザー/ゲオルク・フォン・クロー
(スイス連邦工科大学チューリッヒ校博士課程/スイス連邦工科大学チューリッヒ校シニアリサーチャー・講師/スイス連邦工科大学チューリッヒ校教授
『知識創造企業』出版30周年にあたり、生成AIの新たな進展を踏まえて野中郁次郎が提唱した「場(Ba)」の概念を再考する。生成AIは「行動を起こすに足る真理」を断定する力はないが、真理の候補たる知識の生成・変換・再連結を行う「認識論的道具」として機能する。本稿ではこの特徴を踏まえ、野中が提案した「サイバー場」を、デジタル技術が人間とAIによる知識の再連結化を支援する社会技術的ワークスペース「デジタル場」へと拡張する。その上で、①生成AIプラットフォームや実践を通じたデジタル場の新解釈、②知識創造で蓄積されるAI時代の知識資産(データセット、オントロジー、プロンプトなど)の広範なポートフォリオ、③AI生成コンテンツを知識として再連結するための正当性の基準やルーティンの明確化、という3つの論点を提示する。こうした学術的な最新知見を組織で実行可能な設計原則に整理し、実践に向けた注意事項を簡潔に示した。

特集論文Ⅵ 人工知能(AI)とビジネスアーキテクチャの進化
國領二郎
(共愛学園前橋国際大学デジタル共創学部教授
人工知能(AI)の劇的進化は、ビジネスや社会の基本構造(アーキテクチャ)をどう変えるのか。AIの影響は、単なる効率化や人の置き換えにとどまらず、社会の仕組み全体を根本から作り替える可能性を秘めている。アーキテクチャ進化の従来研究は、主にデジタル化に伴うモジュラー(組み合わせ)型の優位性に光を当ててきた。その一方で、AIが人間の認知限界を拡張する時代に、ビジネスにおけるシステムの構造がどう再定義されるかに踏み込んだ議論はまだ少ない。本稿ではこのギャップを埋めるべく、1990年代からオープンアーキテクチャ戦略を提唱し、ビジネスのモジュール化を指摘し続けてきた著者が、「社会システムと技術システムのアーキテクチャ共進化」の視点からAIのインパクトを捉え直す。AI時代のインテグラル(擦り合わせ)の再評価に加え、従来の人間中心の知識創造理論を問い直す「拡張人間」の概念や、責任の所在の考察から、新たな文明観・人間観の再構築を説く。

[連載]ビジネス・ケースの美味しい読み方
[第5回]ストーリーのあるメニューをデザインする
積田淳史
(成城大学社会イノベーション学部准教授)

[連載]デジタル時代の組織戦略
[第3回 (最終回)]デジタル技術を活用した新しいイノベーション創出の形
清水たくみ
(慶應義塾大学総合政策学部准教授)

[連載]産業変革の起業家たち
[第27回] 「自分はどんな価値を生み出せるのか」を常に問い続ける
佐々木大輔
(フリー株式会社 代表取締役CEO)
インタビュアー:藤原雅俊/カン・ビョンウ

[ビジネス・ケース]
堀場製作所 ――マスフローコントローラによる半導体事業の躍進
森良弘/延岡健太郎
(同志社大学大学院ビジネス研究科長・教授/同志社大学大学院ビジネス研究科特別客員教授
堀場製作所は、京都市に本社を置く分析・計測機器メーカーとして、「はかる」技術を軸に独自の進化を遂げてきた。近年、その成長と高収益を支える中核となっているのが、半導体製造装置用のガス流量制御機器「マスフローコントローラ」(MFC)である。最先端半導体の製造におけるガス制御機器にはきわめて高い精度と信頼性、そして、安定した供給力が求められ、その高度な要求に合致するMFCを開発・製造するのは難しい。堀場製作所は、この事業に早期から参入して足場を築いた。その上で、差圧式MFCという将来を見据えた革新技術に長期的視点で挑戦することによって、世界トップシェアの地位を確立した。その根底には、京都企業らしい「ほんまもん」(究極的な独自価値)を追求する経営哲学と「正しくはかる」という創業以来の価値観、そして、これらに裏づけられた世界に誇る技術力と経営戦略がある。本ケースでは、市場が不確実ななかで「ほんまもん」への長期的な取り組みが結実し、いかにして競争優位を確立したのかを考察する。

三井住友海上火災保険 ―― スキル型人事制度の挑戦
島貫智行
(中央大学大学院戦略経営研究科教授

三井住友海上火災保険は、安定した業績を維持しつつ将来の環境変化を見据え、人事制度の抜本改革に着手した。従来の年功序列や上意下達、会社主導の配置・育成では、事業戦略の転換や新規事業の創出に限界があるとの危機感が背景にある。同社が構想したのは、日本の大手金融機関では初となる「スキル」を共通言語とする人事制度である。将来像から必要な人材とスキルを定義し、現場での仮説検証を重ねながら制度を構築した。スキルはどのように定義・更新されるのか。スキルに基づく評価や処遇は成果創出につながるのか。社員主導の異動やキャリアは組織成果と両立するのか。本ケースは、ジョブ型やメンバーシップ型の課題を乗り越えるスキル型人事制度の設計原理と実装プロセスを考察する。

People Trees ―― 副業・兼業メンバーからなる組織はどう機能するのか
服部泰宏/岡本和之/垂水勇太/山田海
(神戸大学大学院経営学研究科教授/東レ株式会社 繊維事業本部 GO事業部 戦略開発室/ソフトバンク株式会社 グループASI戦略本部 投資戦略統括部 投資企画部長/株式会社リクルートマネジメントソリューションズ 技術開発統括部 シニアコンサルタント

正社員を組織の中核に据える――それは、長らく企業経営における常識であり、コンサルティング業界でも揺るがぬ前提とされてきた。しかし、人事コンサルティング会社People Treesは、その常識を覆す。メンバーのほぼ全員が副業・兼業人材であり、物理的なオフィスも持たない。それにもかかわらず、同社は高い専門性と品質を維持し、案件数を着実に増やしてきた。本ケースは、「雇用契約」でも純粋な「業務委託」でもない第3の組織モデルが、いかにして安定的な協働と信頼を生み出しているのかを描き出す。流動化する労働市場のなかで、組織はどのように人を束ね、成果を生み出しうるのか。People Treesの実践は、働き方改革や人材の流動化が進む日本企業にとっても、決して他人事ではない現実的な示唆を含んでいる。副業・兼業という働き方が広がる今、同社の試みは、これからの組織の「例外」ではなく、1つの「モデル」として捉える価値がある。

[マネジメント・フォーラム]
知識創造活動を通じて会社を変える
内藤晴夫
(エーザイ株式会社 代表執行役CEO)
インタビュアー:米倉誠一郎/大薗恵美

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